「たまたま」の出会いから

だいたい毎月、だいたい第2土曜日にオンラインで開催している「ゆるふわ読書会」。

昨年11月から読んできた『村瀬孝生著/シンクロと自由』が3月で終了しました。だいたいは介護関係の参加者なので、本の内容に刺激され、リアルで生々しい感情を語り合うことが多かったです。

介護関係ではない方が参加してくださった時は、著者の言葉づかいや文章が醸し出す、何とも言えない温もりについて語り合いました。仕方なさの合意、ぼーっとすると見えてくる、ただの「する」…。

どうしても「介護を学ぶ」という姿勢で読んでしまっていたことに気づき、本を読む楽しさを思い出させてもらった回でした。感謝です。

 

最近の私にとってすごくリアルなところ、『「混乱」の仕方がその人らしい』については、熱く語ってしまいました(笑)

ゆるゆると聞いてくれて、ありがとうございました。

 

そして、最終回で盛り上がったのが、「たまたま」のエピソードでした。

「外出」して行方不明になったお年寄りを、近所の方が「たまたま」見つけてしまい、「たまたま」時間があったからと車で送ってきてくれたという話。

別のお年寄りの話では、見つけて送り帰してくれるご近所さんの「たまたま」に、「その場限り」が加わります。

『高い倫理観や問題意識から発動されたというよりは、見て見ぬふりができずに巻き込まれた、という感覚』

『その場限りの魅力は気楽さにある』

『「その場限りでよい」となると、時と場合によっては「見て見ぬふり」もできる』

 

介護を仕事とする私たちに「その場限り」の気楽さはありません。

けれど、よくよく思い出してみれば、赤の他人として「たまたま」そのお年寄りと出会ったのが始まりでありました。

そして、ぼけを深めていくお年寄りとの日常には、あえて「見て見ぬふり」をする場面も確かに存在しているのでした。

けっして気楽などではありませんが。

 

そんなわけで、「たまたま」をキーワードに次回の本を選びました。

 

中島岳志著『思いがけず利他』(ミシマ社)

『自己責任論も、共感一辺倒も、さようなら』

『意思や利害計算や合理性の「そと」で、私を動かし、喜びを循環させ、人と人とをつなぐものとは?』

 

都合により4月はお休みで、次回は5月13日(土)19時~21時です。

ゆるゆるとお待ちしております。