久しぶりの更新です。
水仙が終わると鈴蘭が咲き、牡丹のあとは芍薬のつぼみがほころんできて、もうすぐ紫陽花の季節です。
畑でとれた、ふきのとう、うど、グリーンアスパラ、そら豆なども堪能。
今はジャガイモの花を愛でながら、収穫を楽しみに待っています。
キュウリやトマト、ピーマン、ゴーヤなど夏野菜の苗も植え付けました♪
日々是好日。
どんな一日も、よい日・・・。
「『前向きに生きる』ことに疲れたら読む本」( 南直哉著)によると、「『好日』か『不好日』かに意味はない」「毎日がよい日なら、もはやいいも悪いもない」という意味だそうです。
この本の中の、ずしんと響いた言葉。
「大したことのない自分が、死ぬまで生きていかなければならないのは億劫なことです。しかし、生きているからには、その億劫なことをやるしかありません。」
「自分をなんとか使いこなしていくには、これだと決めた道で、手間と暇をかけるしかないのです。」
親の性格や考え方や価値観はわかっていて距離をとっていたものの、いろいろあってホームに受け入れました。
2ヵ月3ヵ月が過ぎ、半年が過ぎても、どんなにやっても、どんなに言葉を尽くしても、「スタッフも入居者もお互いさまで日々を共に」というホームの暮らしをわかってもらえません。
あまりのジコチュウーぶりに、情けなく恥ずかしく怒りがこみ上げる毎日。
そして、そんな自分に罪悪感を抱いたり、決めたのは自分だと自分を責めたり。
しかし、そもそも私がやりたかったのは、自分の親と違う生き方をすることだったんだから…。
好日か不好日かに意味はなく、いいも悪いもなく、前も後ろもない。
「大したことのない自分」を使いこなして生きていくには、やりたいことではなく、やるべきことをするだけ。
苗を植えた、芽が出た花が咲いたと、一緒に喜んでくれる人がいる。
ふきのとうやソラ豆を収穫したら、喜んで一緒に食べてくれる人がいる。
眠れないから探しに来た、しばらく一緒にいてもいいかと聞く人がいる。
ご縁があって出会った人たちのために、やるべきことをすればいいだけ。