本と共に立ちどまって考えた

第25回「本好きのための読書サロン」は、本を片手に「わたしの2020年」を語り合いました。

「人と人の距離」を、身体的にも心理的にも常に意識しながら暮らさざるをえない日々。

とまどいながらも適応していくしかないなかにあって、定期的に顔を合わせて好きな本の話ができる時間を持てたことに感謝です。

一年間ありがとうございました。

そして、2021年もよろしくお願いいたします。

次回は、2021年2月20日(土)です。

持ち寄られた本の紹介です。

2019年から2020年にかけて出版された本が当然に多いのですが、この状況だから手に取ったという本も ありました。

 

坊さん、ぼーっとする。  白川蜜成

著者は、愛媛県出身の四国八十八カ所 第57番札所 栄福寺住職。映画化もされた『ぼくは坊さん。』から10年。「理趣経」の教えをひも解きながら、日常のエピソードを綴る。『今、必要なのは、情報でも評価でも判断でもなく、期待せずに、平気で待つ勇気』

 

 

国会をみよう~国会パブリックビューイングの試み~ 上西充子

街頭に設置したスクリーンに国会中継の映像を映し出し、その横でマイクを握ってライブ解説するのが「国会パブリックビューイング」だ。労働問題が専門の大学教授である著者は、2018年、国会質疑で行われた「論点ずらし」を「ご飯論法」と呼ぶきっかけを作った一人。『政府が逃げるなら。メディアが報じないなら。私たちがストリートから民主主義を作り直す』

 

 

死にゆく妻との旅路 清水久典

高度成長期を縫製一筋に生きて工場を経営するまでになったが、中国製の安価な製品に押されて工場経営は傾いてゆく。万策尽き果てた著者は、ガンを患っていることがわかった妻を古ぼけたワゴン車に乗せ、なけなしの50万円を手に旅に出る。そして、妻の死によって、272日、走行距離6000㎞の旅は終わる。保護責任者遺棄致死罪で逮捕された著者の手記は、「純粋」や「誠実」、そして「弱さ」について考えさせられる。

 

 

たちどまって考える ヤマザキマリ

17歳で単身イタリアに渡り、その後も世界を駆けてきた漫画家は、このパンデミックにあって何を考えたのか。『私たちには たちどまることが必要だったのかもしれない。また歩く、その日のために』 自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて、あなただけの人生を力強く進もう!

 

 

はみだしの人類学 松村圭一郎

 『多様な「わたし」や「わたしたち」』が、ともに生きてゆくにはどうしたらよいのだろうか。そのカギとなるのが、「つながり」と「はみだし」なのだと文化人類学者は説く。意見の違いや格差の拡大について、必ずしも『つながりが失われている状態』ではなく、むしろ、『両者がつながっている』からこそ、『激しく対立し、分離しているように見える』のではないか。目からウロコの人類学的思考。

 

 

他力 五木寛之

1998年に出版された本の解説には、『困難な今を生き抜く100のヒント』『出口なき闇の時代、もはや非常時ともいえる現代』『法然、親鸞、蓮如の思想の核心をなす「他力」に突き動かされた著者が、乱世を生きるための勇気を与えてくれる本』とある。2020年に改めて読み直し、多くの示唆を得た一冊。

 

 

ケアの宛先 鷲田清一/徳永進

“ゆるふわ読書会”の課題本に取り上げた本書は、マニュアルやコンプライアンスに縛られて息苦しさを感じているケア現場に届けられた、哲学者と臨床医による対談。“ゆるふわ読書会”で語り合いを始めたころには、こんなにも緊張と不安と葛藤と疲弊の日々がケア現場に続くことになるなんて想像もできなかった。知性とユーモアに包まれた言葉が、やさしく深く心に沁みる。

 

 

アブサンの文化史:禁断の酒の二百年 バーナビー・コンラッド三世

19世紀から20世紀にかけて芸術家たちに愛飲されたアブサンは、ニガヨモギから作られた蒸留酒。「緑の妖精」とも「悪魔の酒」とも呼ばれて20世紀初頭には発売禁止となったが、1981年、ツヨンという成分の含有量に基準が設けられたうえで解禁となった。ドガやロートレックやゴッホなど著名な芸術家たちとアブサンのエピソード、アブサンと医療や政治や戦争との関わりなど、豊富な図版とともに解説されている。コロナ禍でなければ、ヨーロッパを旅するはずだったメンバーからの一冊。

 

 

シードルの事典 小野司(監修)

ヨーロッパで古くから親しまれているリンゴのお酒、シードル。その歴史から製造法、料理や楽しみ方までを紹介した、日本初のシードル事典。最近は日本でも人気が高まっており、国産のシードルが多数生産されている。

 

 

バガヴァッド・ギーダー 上村勝彦(翻訳)

古来から宗派を超えて愛誦されてきたというヒンズー教の聖典で、表題は「神の歌」という意味。ヒンドゥーの叙事詩「マハーバーラタ」の一部に収められており、善と悪のはざまで葛藤する王子アルジュナと、彼の導き手であるクリシュナの対話という形をとる。マハトマ・ガンジーなど、インド独立運動の指導者たちに影響を与えたという。

 

 

人間 加古里子

人間とは何か、なぜ生まれてきたのか。その体はどのように作られているのか。人間の歴史を、宇宙の始まりのビッグバンから描いていく壮大で詳細な図鑑。生き物は必ず死ぬけれど、生命誕生からの設計図が組み込まれた遺伝子を、必ず次へと残してゆく。だから、死を恐れることはない。2020年、愛媛県歴史文化博物館において「かこさとし絵本展~未来を生きるこどもたちへのメッセージ~」が開催された。

 

 

NHK100分de名著「Momo」 河合俊雄

児童文学の傑作『モモ』は、1973年の出版以来、世界中で翻訳され読み続けられている。2020年を生きている私たちは、臨床心理学者・河合俊雄氏による解説によって、様々なメッセージセージを新たに受け取ることができる。「受動」から「能動」へ。2020年8月放送の番組では、俳優のんが愛らしい声で朗読。

 

 

モモ ミヒャエル・エンデ/大島かおり

時間泥棒に盗まれた“時間”を取り戻すため、甲羅に文字が浮かぶ不思議なカメに導かれ、モモは“時間の国”へ。「時間」の真の意味を問う児童文学の傑作が、美しく洒落たデザインの新装版として発行された。

 

 

アンデルセンの絵話   1969年小学館

アンデルセンのおはなし 1971年小学館

子どもの頃に大好きだった「おやゆびひめ」の絵の記憶を頼りに探し求め、今年、約50年ぶりに手にすることができたというメンバーからの紹介。亡き父との思い出にもつながる本を、きれいな状態で入手できて感激したとのこと。父に買ってもらった本の繊細で美しい絵を記憶にとどめ、50年後に探しだしてしまう遺伝子。きっと次へと残されていくんだろうな。

 

 

ぼくはいしころ 坂本千明

ひとりで街に暮らす野良猫の「ぼく」は、お母さんから「黙っていたら安全」と教わっている。だから、「いしころ」と同じように黙っている。じっと黙ったまま、いつかいなくなる存在なんだ。そんな「ぼく」に、「こんばんは」と話しかけてくれた声。その声の人からごはんをもらった「ぼく」は、おなかが空いていたことに気づいて、しまい込んでいた気持ちがあふれ出す…。ラストページ、「ぼく」が「ニャー」と言う場面に、じんわり泣き笑い。

 

 

なまえのないねこ 竹下文子/町田尚子

八百屋の猫、本屋の猫、パン屋の猫、みんな名前を持っているのに、ひとりぼっちの野良猫には名前がない。「名前」に憧れる野良猫の「ぼく」は、自分の名前を探すことにする。ある日出会った女の子が「ぼく」にくれたものは…。名前を付けてくれる人、名前を呼んでくれる人、出会えてよかったニャ。

 

 

せかいねこのひ 井上奈奈

ある朝、目が覚めたら誰もが言葉を忘れていました。口から出てくるのは「ニャー」だけ。こんな日は猫をお手本に過ごそうと、人々は思った。せかいじゅうが「ニャー」であふれたら? 猫は地球を救う! 黄色を基調にした美しい絵本。

 

 

きらいな母を看取れますか?~関係が悪い母娘の最終章~ 寺田和代

育ててもらった恩を介護で返すのは子として当たり前のことなのか? いろいろあったわだかまりも溶かしてしまうのが「親の介護」というものなのか? 老いて要介護状態になっていく親と向き合ってみたものの、「子として当然」という義務感とか、「そうはいっても親子だから」という儚い希望に苦痛しか感じられなかった私。ステイホーム中に勇気を振り絞って読んだ結果、母を嫌いだということを口に出せるようにはなったけれど、それはそれで、再び重く自分自身に返ってきて、出口なし。

 

 

1982年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ

33歳になるキム・ジヨンは、女の子を出産したばかり。ある日突然、自分の母親や友人が乗り移ったかのように振る舞い始め、心配した夫と共に精神科を受診する…。精神科医のもとで半生を振り返るキム・ジヨンの話から、何世代にもわたって女性たちが閉じ込めてきた思いが明らかになってゆく。2020年、映画が公開されて話題になった。韓国だけの話ではなく、日本の今を生きる女性たちの物語でもある。

 

 

発酵の技法~世界の発酵食品と発酵文化の探究 Sandor Ellix Katz/水原文(翻訳)

発酵の基本と発酵食品の製法を、野菜、ミルク、穀物、豆類、肉、魚など食材別に解説。著者が実際に作って学んだプロセスが紹介されており、微生物と人間の関係についての新しい見方や、発酵食品を扱うスモールビジネス などにも触れられた発酵の教科書。

 

 

うそ 中川ひろたか/ミロコマチコ

ウソをつくのはいけないこと。でも、ウソをついてない人なんているのかな? 世の中にあるウソの数々を並べられると、ところでウソって何?って聞きたくなる。

 

 

四十一番目の少年 井上ひさし

作家自身の実体験をもとにしているという自伝的小説三篇は、敗戦後の児童養護施設に暮らす少年たちを描く。悲惨な境遇から必死に這い上がり生き抜こうとする少年たちの姿が胸に迫る。『加害者の嘘に対抗して、自分の身を守ってくれるものは、やはり嘘でしかないことを「ぼく」は悟ったのである』『三篇の奥底に隠された秘密を解き明かす共通のキーワードは「嘘」だ』(解説文より) 

 

 

井上ひさしの日本語相談 井上ひさし

読者から寄せられた素朴な質問に、”ことばの達人”の著者がウィットを交えて楽しく答えてくれる日本語教室。「よい天気」と「いい天気」どちらが正しい? 答えは「どちらも正しい」。『「よい」には改まった感じがあり、文語らしい匂いもある。「いい」にはくだけた感じがあり、口語っぽいところがある。この微妙な違いを使い分けることは大切ですが、ひとまず、どちらも正しいと心を据えるのが肝心です』と。このように『どちらを使ってもまちがいではない』とか『神経質になってはいけません』とか、質問者をやんわりと戒めるところもあり、作家の「日本語」を観察する目は温かい。

 

 

100日後に死ぬワニ  きくちゆうき

 2019年12月から2020年3月まで、Twitterに投稿された漫画が書籍化されたもの。毎日の投稿を見ている読者は、ワニが100日後に死ぬことを知っている。ワニは知らない…。ワニの死後、グッズ販売や書籍化などの商業展開がなされたことで、「ワニの死で金儲けしている」と大炎上したという。そんな今どきの世情は理解しにくい。Twitterに毎日1話ずつ投稿されることで、「読者」の間に一体感みたいなものが生まれるのだろうか。それも「つながり」のひとつなんだろうか。リアルなのか架空なのか。よくわからない世界のできごとも、一冊の本になって手にすることができると、なんだか、ホッとする。

 

当日参加できなかったメンバーからの紹介です。

 

ここにいる あおきひろえ

小さい私を膝に座らせて、万年筆で絵を書いてくれたおとうさん。おじいちゃんになったおとうさん。その最期のときまでを色鮮やかに描き出す。亡き父との大切な日々…。自分を重ねて読むことのできる、人生が愛おしくなる本。

 

かわいいおとうさん 山崎ナオコーラ/ささめやゆき

膝に乗って、ずっと一緒にいたいおとうさん。親子のあたたかなふれあいがいっぱいの本。

 

おとん 平田昌広/平田景

つよくて かっこよくて だいすきな「おとん」。子どもから見た父親像が描かれて楽しい本。

 

かなしみがやってきたら きみは エヴァ・イーランド/いとうひろみ(翻訳)

誰にでもやってくる「かなしみ」。いきができなくなる「かなしみ」。きみをのみこんでしまう「かなしみ」。子どもの心にそっと寄り添ってくれる本。

 

コロナ禍の別れは、大切な人のそばで手を握ることもできない。

そんな辛い別れの「かなしみ」に寄り添い、慰めをもたらしてくれる本たち。