「介護保険サービス利用者からの苦情」について、私の実家を例に考えてみました。
キーワードは、<期待していたのと違う><信用できない>の二つです。
「要支援1」の認定で、手すり設置、入浴イス購入、家事援助(買い物と掃除)の利用から始まりましたが、特に母からの「苦情」対応には苦心しました。
介護認定を受けるような状況にいたる前から、おりにふれて介護保険に関する情報提供や老いへの指導(笑)はしていましたが、まったく役に立ちませんでした。
老いや健康への不安は強く訴えるくせに、介護が必要な状態が来るという現実には向き合わない。「子や孫の世話にはならん」「有料老人ホームに入るようなお金はない」「ピンピンコロリを目指す」・・・こんな具合で、私の情報も知識も他人事なのでした。
車で30分以内の所に住む私や妹から将来に関する提案をしても、本気で話し合うことはありませんでした。
そして・・・「ピンピンコロリを目指してあんなに頑張っていたのになぜ?」「自分がこんなになるとは思ってなかった」という恨み節とともに、利用開始。
痛みや不自由さが現実の苦痛となり、この先どうなるのかという不安と恐怖に苛まれ始めてからは、なおのこと、客観的な情報として人の話を聞くことはできなくなっていました。
制度上の問題はいろいろあるけれど、どう利用して生活を立て直し継続していくか。
見ず知らずの他人が入ってくることと、どう折り合いをつけていくか。
この二点について何度も指導(笑)しましたが、母からの「苦情」は酷かったです。
「要介護2」で身体介護が入るようになった現在も・・・。
苦情のキーワードは、<期待どおりじゃない><信用できない>です。
制度上の話として対応できることは、「他の利用者も同じように言いよります。でも保険でやっていることなので」と、ケアマネージャーが説明します。
有無を言わさない泰然とした物腰に、このような「苦情対応」が日常茶飯事のことなのかなと想像してしまいました(笑)
まあ、この役割からは解放されたので有難いと思っています。
かつて、制度上のことを一生懸命に母に説明していたころ、最後には、まるで私が介護保険制度を擁護しているかのような気分になってしまうのは、ほんとうに不毛で苦痛な時間でしたから(笑)
訪問介護ヘルパーに対する「苦情」に関しては、私も父も一生懸命になって<母の間違い>を指摘して訂正し、母が心を入れ替えてくれるように頑張っていました。
私は、そのような苦しい努力を止めてしまいました。
ヘルパー事業所には、「私は皆さんを信頼しているので、申し訳ないが母の文句は適当に聞き流して気にしないでください」と伝えています。
父は、今も努力しているようです。
母とヘルパーさんの間に入る気遣いを続けているおかげで、「モンスター利用者」と言われずすんでいるのだと、ほんとうにそう思います。
そんな父のことを、ヘルパーさんたちが心配してくれるほどで・・・。
聞く耳と冷静さを持つヘルパー事業所の皆さんには、心から感謝しています。
母が発する「苦情」については、生来の気質によるところが大きいとは思います。
けれど、介護現場の苦悩を少しでも減らすためには、これから利用者になるであろう予備軍の人たちに向けての「苦情を減らすための教室」があってもいいのではないでしょうか。
要介護状態にならない「健康寿命」を延ばすための「介護予防教室」が盛んに行われています。
心身の機能の維持・向上を目指す勉強や体操もいいですが、「老い」という自然経過に適応していく支援も必要ではないでしょうか?
介護を受けないことを良しとして理想像を追求させるだけでは、なにか欠けているような気がしてなりません。
できていたことができなくなるときは誰にでも訪れます。
それは、自然な経過の中でのことであって、みんなのお金を使って迷惑をかけていることではありません。
介護保険料をおさめている市民の一人として、制度を知っておく。
制度利用について、自分事として理解しておく。
ピンピンコロリって、現実にはどういうことなのか理解しておく。
ヒトの寿命とか「老い」ということについて、生物学的に知っておく。
独りで生まれて独りで死んでいくのだけれど、現実には、他者のかかわりなしではすまされないことを認めておく。
母を指導(笑)していたときに一番伝えたかったのは、(子や孫も含めた)他者の介助を受けながら暮らしていくことを受け入れて、その輪の中に自分自身も加わってほしいということでした。
ちょっと具合が悪いからといって入院させてくれるような病院は、今はもうないのだから。
残念ですが、今も輪の中に入るつもりはなさそうです。
もしかしたら、母のような老人が発する「苦情」は、自分の人生を受け入れがたいという「苦情」なのかもしれません。
自分の親のそんな「苦情」には降参してしまいましたが、介護を受けることになったときの苦悩を少しでも減らして、お互い気持ちよく過ごすための「苦情予防教室」があればと思います。