苦情対応で大切にしたいこと

介護現場における<苦情対応>について研修依頼をいただくようになりました。

自称:介護コミュニケーションの専門家としては、一般的な苦情対応研修に収まりきらない<情>に焦点をあてた内容にするとともに、受講者の方たちには改めて介護・福祉の仕事について考える機会にしてもらいたいと思いながらやっています。

研修依頼が増えているということは、対応に苦慮する事案が増えているということなのかもしれないし、職員のコミュニケーション力に課題があると感じる管理者がいるということなのかもしれません。

求められがちなのは「こんなときどうする?」的な、わかりやすいハウツーでありますが、そうならないように心がけています。

NGワードひとつにしても、NGワードとなってしまう背景の<苦>や<情>について、人と人との関係性で成立する<介護>だからこそ、というところを伝えたいと思っています。

 

 

 

<措置>の関係から<サービス利用>の契約関係に変わったにもかかわらず、急増する従事者への「不自由や困難と共に生きる人とのコミュニケーション」について基本的な教育がなされていないと感じています。

 

もちろん、もともと生来の資質として共感力(想像力)や柔軟性(創造力)を持つ人もいます。

逆に、そんな資質をもつ人こそが働き続けにくいという現場があるのは悲しいです。

 

 

最近、ある高齢者施設にいたとき、次のような職員と入所者のやりとりを聞きました。

 

職員「また勝手に入ったん? 人の部屋に入ったら泥棒なんよ!」

入所者「何を言よるん」

職員「泥棒じゃあ言よろ! 警察呼ぶよ! 何回も言われとるやろ!」

入所者「ふん、あんたが何を言うんじゃ」

こんな調子で、しばらく言い争いが続いていました。

 

私は別の入所者(おふく利用者)の部屋にいたのですが、廊下のほうから職員の大声がしてきて「なにごと?」と耳をすませてしまった次第です。

そこでは珍しくない光景なのですが、まったくもって不愉快きわまりない。

「ばあちゃん負けるな、その調子でやりすごして」心の中で応援してしまいました。

 

 

私の利用者である人とは、何度か話し合ったことがあります。

「私から施設長に言いましょうか?」

「匿名でならどうでしょうか?」

「ずっとここにいるつもりなら言ったほうが」

でも、いろんな理由をもとに、「ええんよ」と却下されます。

 

 

いろんな理由のひとつには、その方らしい「やるときは私もやってやるけんな!」という勇ましさもあります(笑)

そもそも施設長に信頼をおいていないということや、「今さら」という諦めもありそうです。

私が一番感じるのは、その方の、人としての<誇り>です。

苦情申し立てしないことが、90年以上生き抜いてきての、今の自分の境遇を受容するための<誇り>なのではないかと。

<矜持>と言ったほうがいいかもしれません。

 

苦情を感じても90%くらいの人は何も言わない、といわれています。

しかし、「二度と行かない」や「もう買わない」「もう使わない」ではすまされないのが私たちの仕事です。

もし介護現場においても90%の人は何も言わないのだとしたら、それは大変なことであります。

 

 

苦情を言ってくる人にどう対応するか。

まずは苦情を言わせている状況について、謝罪が必要です。

これは、こちらに非があるかないかは関係ありません。

よく「謝罪したら責任を認めることになるから謝ってはいけない」という話を聞きますが、謝罪する行為と責任を認めることとは違います。

 

初期対応の謝罪の目的は、「この状況に誠実に対応します」という態度を示すことです。

「この人は話を聞く気があると思ってもらえる」ようにかかわります。

そして、「じゅうぶん話せた」「自分の言い分は伝えた」と思ってもらうのが、初期対応の到達目標です。

 

「NGワード」がだめなのは、言い訳にとられたり、不誠実さや逃げ腰な態度にとられる可能性があるからです。

たとえ、こちらにそんなつもりはなくても。

 

しかし・・・です。

私たちが本当に聞かなければならないのは、言いたいことがあっても「言わない」「言えない」人の声でしょう?

苦情対応の研修をしながら、私の心の声はそんなふうに叫んでいます。

そんな話ができるように、私自身も研鑽を続けていかなければと思います。