看護や介護は、個人プレーで完結することはほとんどないといえる仕事です。
立場はどうあれ、事業所内や地域で結成される様々な“チーム”の中の一員として働いています。
そのチームには、仕事に関する価値観や看護介護に対する姿勢が自分とは異なる人が必ずといっていいほど存在しているので、「なんで?」「それはいかんやろ!」ってなることも多々あります。
そして、言葉を尽くして話し合おうとしても通じないので、がっかりしたりイライラしたり。
介護施設の出前講座でも、「コミュニケーション」「メンタルヘルス」「チームワーク」などがテーマになることがあり、ある介護職の方からこんな質問をいただきました。
「苦手な人とも、前向きな付き合いができる方法はありますか?」
真面目でストレートな問いかけに、ドキンとしてしまいました。
ああ、そんな方法があったら私も身につけたい。
ここを掘り下げるには、自分自身と向き合うための、それなりの時間と覚悟が必要です。
有効な簡単ハウツーを私は持ち合わせていないことを率直に伝えました。
その上で、以下のような話をしました。
①まず、「前向きな」というところを外してみよう。
「前向き」になれない自分を責めなくていいです。
「○○さんを苦手に感じる自分」がいるだけです。
②「付き合い方」の基本の“き”は、人としての礼儀をわきまえることなので、気持ちの良い挨拶を自分から。
そして、業務上必要なやりとりも、人としての礼儀に反することがない表情や態度を心がける。
これなら明日からできそうでしょうか?
こんな問いかけをしてくれるあなたなら、きっとできますね。
いや、きっともうすでに努力していますね。
それでOK!
こんな気持ちでお伝えしたつもりです。
もしかしたら、「リーダーはこうあるべきだ」という「べき思考」「ねばならない思考」が苦悩の背景にあるのかもしれません。
苦手な人でも良い関係を築かねばならぬ、なぜなら私はリーダーだから。
その場では浮かばなかったのですが(反省)、あとになって思い出したのが「ゲシュタルトの祈り」でした。
我は我がことをなさん
汝は汝のことをなせ
我が生くるは汝の期待に沿わんがために非ず
汝もまた我が期待に沿わんとて生くるに非ず
汝は汝、我は我なり
されど、我らの心、たまたま触れ合うことあらば、それにこしたことなし
もし、心通わざればそれもせんかたなし
わたしはわたし、あなたはあなた。
たまたま心触れ合うことができたら、それは素晴らしいこと。
もし心を通わすことができなかったとしても、それはしかたのないこと。
「しかたがない」は、投げやりな態度で言うのではありません。
「前向きに」現実を見つめているのであり、自分も相手も対等という態度です。
実際は、自分のほうが正しいと感じることが多くて難しいのだけれど・・・。
でも、少しは気持ちが楽になるといいな。
次の訪問のとき、「ゲシュタルトの祈り」を紹介しよう。