5月から3回シリーズで開催してきた「心理学で学ぶセルフコミュニケーション」。
7月8日と9日で終了しましたので、ご報告いたします。
⇒第1回(5月)の報告はコチラ
人生の課題を、①自分とは何者か ②他者とは何者か ③人はいかに生きるべきか の3つとするところからスタートし、自分と対話するワークをしたり、それをグループのメンバーと共有したりしながらすすみました。
思い返してみると、どの回も、どのグループも、よく笑ったなあという印象です。
新たな気づきがあって、それをグループのメンバーで共有できるということは、とても嬉しいことなんですね。
わたし自身も、自分のことを事例にして話し、皆さんからフィードバックしてもらうことで自己理解がすすみました。
参加された皆さま。上質で、福がいっぱいの時間に感謝です。
第3回は、アドラー心理学を中心にしました。
『嫌われる勇気』という本が大ヒットしましたね。
人に嫌われないように努力して頑張っているので、「嫌われることもあり」とするには勇気がいります(笑)
いろいろキーワードがあるのですが、今回の講座で特に伝えたかったのは、「普通であることの勇気」でした。
よく、<ありのままでいい>という言葉を聞きますが、この言葉に抵抗したくなる気持ちが私の中にありました。
参加者の中にも、<ありのまま>がスッと落ちないという方がおられました。
他者(または社会)に貢献するためには、より良く強く賢くならなければという信念。
今の自分に自分でOKを出してはならない、という心のブレーキ。
介護や福祉などの仕事を進んで選ぶ人には、そんな人が少なくないのではないでしょうか。
アドラー心理学の《共同体感覚》では、人は、「弱さや欠点や限界のために、いつも他者と結びついている」とします。
そして、人生の意味は、他者への貢献を目指すことであると。
「人は一人では生きていけない。他者やその集合体である共同体から離れて生きる個人はありえず、本人がどう思おうと、必ず他者からの援助を受けているはずである。」(「個人心理学講義」アルフレッド・アドラー著/岸見一郎訳より)
ここでいう他者への貢献とは、何か特別なことをなすということではありません。
赤ちゃんの存在が自然に周りの人を笑顔にするごとく、自分の存在自体が他者に貢献していると感じられることです。
それには、他者を信じ、自分自身を<ありのまま>受け入れることです。
ここで登場するのが、「普通であることの勇気」です。
自分も他者も、「特別によくなくても、悪くなくてもよい」という勇気。
病や障害や老いを抱えて生きる人と共に生きる・・・とは?
自分について「特別によくなくても、悪くなくてもよい」と言えるなら、他者もまた「特別によくなくても、悪くなくてもよい」存在だと信じることができるのではないか。
7月26日という日に。
あらためて、強くそう思うのです。
他者(または社会)に貢献したいと頑張っている人と一緒に、自己理解を深め、自分への勇気づけをした3回でした。
「続きはいつですか?」という嬉しい言葉もいただきました。
また企画しますので、そのときはよろしくお願いいたします。