パーソンセンタードケアについて投稿しようと思ってから、『認知症のパーソンセンタードケア』(トムキットウッド著/筒井書房)を読み直しています。出版されたのは2005年です。ちょうどその頃に、私は認知症高齢者のケアに出会い、『新しいケアの文化』『人として出会うための』という言葉に惹かれて手にしました。
高橋誠一氏による訳者解説のある部分が、
10年以上たった現在に通じていることに驚きました。
一部を引用します。
本書を翻訳している間に、日本の認知症ケアはすごい勢いで変化してきた。
本書を読まれても、さほど目新しさを感じない人も多いのではないかと思う。
そうであれば、日本の認知症ケアの基本的な考え方はパーソンセンタードケアへ移行しているといっていいだろう。
しかし、実際のケアはどれだけ改善されたのだろうか。
認知症が注目されればされるほど、
かえってわたしたちの認知症に対するバリア(心理的防衛)は高くなっていないだろうか。
認知症になっても安心して暮らせる地域へ・・・という取り組みがある一方で、
ますます認知症老人が増えて大変なことになる!
予防だ! 薬だ! 遺伝子だ!・・・と不安を煽るキャンペーンもあり、
認知症に対するバリア「ああなったらタイヘン」は、ますます高くなっているよう。
介護施設で研修をするとき、折に触れて「『不穏』『拒否』をなくそう運動やってます!」と話しています。
介護従事者が便利な記号として使うコトバたちが、『その人らしさ』を隠してしまうからです。
特に、介護記録で便利なコトバとして使われています。
コトバ狩りをしようというのではありません。
『その人』へのレッテル貼りになっていないか、考えてみてもらいたい。
介護者にとって困る言動を、うまく記号にしてしまっている気がするのです。
「なんとなくセンモン用語っぽい気がして使っていました」
「このコトバを使わないといけないのかと思っていました」
・・・と言う人がいました。
『不穏』『拒否』の内容をインタビューしてみると、ちゃんと観察して受けとめている人もいます。
なんてもったいない!
あなたが観察して、あなたが受け取ったものを記録に残してくださいね。
『拒否』を、“認知症ゆえの問題行動”とするのではなく、その人の意思表示として受けとる。
そこから、『その人らしさ』(パーソンフットpersonhood)を大切にするケアが始まります。