今日の「折々のことば」(鷲田清一/朝日新聞)で紹介されていた、『利用者の皆さんと一緒にぼーっとしているときがあって、そういう何もない時間が怖くないというか』という新人介護職員の言葉。
介護の現場を知っている人には、この言葉がずしんとくるはず。こんなふうに新人が言える介護ってすごいです!
怖くない理由は、次のとおり。
『同僚たちが「みんなはどうか知らんけど」と言いつつ「私は」と話しているから』
『食事はみなが交替(こうたい)で担当するので味が毎日違うから』
『基本的にみな、「ええねん、ええねん」で進んでいくから』
利用者の『一人ひとり』を大切にしているということは、
職員の『一人ひとり』も大事にされているっていうことなんだなあ。
他人が寄り合っていても、『一人ひとり』を尊重してなお成り立つのが介護の世界なのですね。
利用者も職員も、もともとは見ず知らずの他人が偶然出会って寄り合って作っていく場なのですね。
料理人が作るのじゃないのだから、味が毎日違うのも楽しんでしまう。
ふつうに家で食べるご飯なら、上手くできる日もあれば失敗することもあるんだしね。
栄養価とコストが計算されつくしたメニューと味つけが365日続くのって、どうなのだろうか。
「某ホテルにいた一流シェフが作ります」というのがウリのところもあれば、
工場から届くレトルトや冷凍食をチンして出しているところもあるけれど。
ときどき訪ねる施設の食事は、ギリギリまで抑えこんで淋しい印象です。
食事のときも、3時のお茶も、プラスチックのうがいコップにヌル~い番茶です。
お年寄りの時間は、残りは少ないかもしれないけれど、今はたっぷりあるはず。
お年寄りの時間を介護者側のルールで小刻みにきざんでしまうような現場の職員は、
何もない時間が怖いのです。
スケジュールどおり、役割分担どおりに、お年寄りの間をクルクル回っていると安心かもしれない。
けれど繰り返すうちに、こころある人は苦しくなってくるのです。
介護の仕事を選ぶなら、人が生きて老いて死んでゆくということについて、病や障害とともに生きているということについて、自分の捉えかたや感じ方をじっくり見つめる時間が必要だと思います。
自分の生き方そのものを問い直してみる時間が必要です。
自分の言葉で自分を語ることができる現場は、「ええねん、ええねん」で進んでいける。
※写真は、コタツ布団で丸くなるネコさん(^^)
このあと、チビさんに無理やり起こされて相手をさせられるのでした。