パーソンセンタードケアについて①

最近訪れた介護施設で目にした光景について、だれも気にしていないということが気になってしかたがなく、「パーソンセンタードケア」についてつづっていくことにしました。

「パーソンセンタードケア」は、イギリスの心理学者トム・キットウッド(1937年~1998年)が提唱した認知症ケアの理論です。


認知症の症状を「脳の器質的な変化の結果」としてだけとらえるのではなく、その人を全人的にとらえ、その人との関係性に注目します。

 

トム・キットウッドは、『認知症のパーソンセンタードケア~新しいケアの文化へ~』(高橋誠一訳・筒井書房)のなかで、その人らしさを傷つけ、体の健康をも損なう可能性もある10のエピソードをあげています。

 

だます…本人の関心をそらしたり、本人になにかをさせたり、言うこときかせるために、だましたりごまかしたりする


できることをさせない…本人がもっている能力を使わせない、本人がやり始めた行為を最後までやり遂げる手助けをしない


子ども扱い…無神経な両親が幼児を扱うように、保護者的態度で接する


おびやかす…おどしたり、力ずくで、本人に恐怖心を抱かせる


レッテルを貼る…本人と関わるときや、本人の行動を説明するとき、「認知症」という診断区分を分類として使う


汚名を着せる…本人をあたかも病気の対象、部外者、落伍者のように扱う


急がせる…本人が理解できないほど速く情報を提供したり、本人ができる以上の速さでさせようと圧力をかける


主観的現実を認めない…本人が経験している主観的現実、とくに気持ちを理解しない


仲間はずれ…物理的に、あるいは心理的に本人を追いやり、排除する


もの扱い…生命のない塊のように扱い、本人に感覚があるとは考えず、 押したり持ち上げたり、食べ物で口を一杯にしたり、排泄させたりする

きっかけとなったできごととは・・・。

車イスの男性利用者に対して、「ブレーキをかけてないと危ないでしょ」と職員が背中側から言っているところに遭遇したのですが、まさに親が幼児を扱うように聞こえて注目することに。

職員は、共用スペースから居室のほうへ車イスを押していきました。

 

もちろん私は、ふだんの2人の関係性を熟知しているわけではありません。その場面だけで決めつけてはいけないことは承知しています。

しかし、職員は見ていない(気にしていない)お年よりの表情から、『信頼関係』あるいは『適切な依存関係』もしくは『人と人の交流』を読みとることはできませんでした。

むしろ、傷つき悲しげな表情とまなざしを私たちに向けてきたと感じました。部外者の私たちがいることで、恥ずかしさすら感じていたかもしれず、申し訳なく思ってしまいました。

 

私と同じく外部からの訪問者としてその場にいた人は、何も気にならなかったようなのですが。

ほかの職員も振り向いたりはしなかったので、ふだんからそのような光景があたりまえなのでしょう。

 

私たちのほうを見ていただけのお年よりに、「危ないでしょ」と言った理由もわかりません。

もしかすると、そのお年寄りの“困った行動”のひとつが「ブレーキを外す」なのかもしれません。

自分で車イスを操作して移動することはできるけれど、「ブレーキをかける」という安全のための行為ができないのが“問題”なのかもしれません。

 

なんて悲しい表情をこちらにむけてくるのかしら。

なんで外すのだろう、なんで車イスなのだろう、なんで連れて行かれたのだろう・・・

私のアタマはフル回転していました。 (つづく)