実家の母(81歳)の通院に付き添い。
もともと健康オタクで、そうとう綿密に自己管理していた人ですが、75歳の時に「後期高齢者」と呼ばれ始めたときに、そのことを相当気にしていました。一段と神経をとがらせるようになりました。
次に加速したのは、地区の集団健診で「血圧が高い」と言われたときでした。
もともと検査値データを収集していた人ですから、
それはもう異様なほど頻繁に血圧の数値をチェックするようになり・・・。
1とか2とか上下するだけも、騒ぎました。
私の感覚では年齢相応で、そもそも慌てるような数値ではないのですが。
「今までが若すぎた」
「ここまで健康でいられたのは自己管理の賜物」
「気にするほうが上がる」
「計っても下がらん。むしろ上がる」
「ガイドラインもこんなに変わった」
あの手この手の説得は、全く効果なしでした。
あれ以来、次々に病気を呼び込みました。
病院もいくつか回りました。
最近やっと相性の良い医師に出会えて、落ち着いてきました。
病院の雰囲気も落ち着いていて、清潔感もあります。
スタッフの皆さんも落ち着いていて、安心感があります。
ザワザワせかせかしていないのって、ほんといいです(^^)
ときどきタクシー代わりをしたり薬を取りにいったりしていました。
※病院の外の調剤薬局に行くのって、高齢者や車イスや具合の悪い人には一苦労です!
今回は2日ほど調子が良くないということで受診したのですが、
母のほうから「診察室にも一緒に入って」と言うので、
初めて診察室にも一緒に入りました。
そして・・・そこでの母の態度に苦笑することになりました。
ひととおり診察やら説明やら終わったかなと思われたとき、
「念のために、おしりの具合も診ておこうかな」とさりげなく言う医師。
2年ほど前に別のクリニックで痔の治療を受けています。
そのことが、実はこのところ最大の気がかりとなっていました。
排便に関する顛末を、私にはこと細かく実況中継するように訴えておりました。
消去法でいくと、
どうやらそこに現在の不調の原因がありそうだという診たてのようです。
私には納得の医師の言葉でした。
しかし、医師が言い終わるか終わらないかのうちに、
「ぜったいだめ! 今日はだめ! 」と悲鳴をあげる母。
「いやいや今日でしょ? わたし、医者よ?」と苦笑する医師。
何度か、笑いも含めたやりとりをしましたが、医師のほうが諦めました。
私も、「強制的にやってください」なんて半分ホンキで参戦したのですが・・・。
ほんと、申し訳ありません。
あれだけ不調を訴えていたというのに・・・。
あまりに頑なな拒否のしかたに診察室一同 苦笑したという次第です。
あれでよく痔のクリニックに行けたなあと思いましたが、
そのときは恥をしのぐほど耐えられない状況だったということなのでしょう。
悲壮な覚悟の上で、すべて委ねたということなのでしょう。
「ぜったいだめです!」と言う様子に、
先が思いやられるなあと感じつつも、
らしいなあと思ったのも事実。
いくつになっても肉体にガタが来ても、
精神の“らしさ”は健在です。
肉体が思うようにならないこそ、かもしれませんね。
今は、ここがプライドのツボなのだな。
よく覚えておきます。