『深いけれど親しくはない関係』

重い障害がある人のための「成年後見制度」において、市民の立場から活動にかかわっている方たちへの研修をする機会をいただきました。

重い障害がある人とかかわるときの“こころがまえ”を学ぶといったところがテーマでした。

障害の特性を理解したうえで、様々な背景(人生の物語)をもつ人と出会っていく活動です。

この社会は、平均的な知能の人(多数派)に合わせてルールが決められています。

また、人は人の間で生きていくために、感情や情緒でのつながりを求めます。

 

「知的障害」といわれる人たちは、

ルールや多数派の歩調に合わせることが難しいので、傷つきます。

 

「発達障害」といわれる人たちは、

感情や情緒で人とつながることが難しいことがあり、傷つきます。

 

多数派である周囲の人たちを困らせているように見えますが、

実は困っているのは本人なのです。

 

では、コトバで意思疎通ができないと思われている人とのコミュニケーションはどうすれば?

コトバがすべてのように思い込んでいませんか?

実は、私たちは五感(視覚・聴覚・皮膚感覚・嗅覚・味覚)をとおして世界を知りえています。

なので、コトバに頼らず五感をとおして相手とやりとりすることができるはずなのです。

同じものを食べて「おいしいね」と言って、相手も「おいしい」と言っているように感じられたら。

究極は、『気持ちいい』『心地いい』 か 『不快』 か という1点で。

 

受講者の皆さんには、

ふだんあまり意識していないであろう『五感』を意識してもらうワークをしたり、

耳から『心地いい』を感じるリフレーミング(意味づけを変える)ワークをしてもらったりしました。

 

さすが社会貢献活動に熱心な受講者の皆さん。

すばらしいオープンマインドで、私も『心地いい』時間をすごすことができました。

さて、このブログのタイトルはいつ出てくる ^^

受講者にいただいた質問に応えて紹介したのが、『深いけれど親しくはない関係』という河合隼雄先生の言葉でした。

 

河合先生が『カウンセリングの実際問題』という著書のなかで、カウンセラーとクライエントの関係性についておっしゃっている言葉です。

何か困難を抱えていて他者からの支援を必要としている人にかかわるとき、

私自身が大切にしている“こころがまえ”です。

家族でも親戚でもなく、友人でも知り合いでもなく。

親しくはないからこそ、深くかかわることが可能になるという教えです。

 

専門性の一面といえるかもしれません。

 

介護の現場をみてみますと、

親しく接することが深くかかわることのように勘違いしている人がいます。

親しくしようともしないよりはいいのか?

いやいや、勘違いしてはいけないです。