先週末、山梨県北杜市に旅してきました。
おふく名物になった“古代米”おにぎりに使っている自然農法の米作りをしている友人と、愛媛にいたころ洗礼を受けて、今は富士見市でナースをしている友人とを訪ねる旅でした。
30数年にもなる“はみだしナース”3人の出会いからの物語は省きますが、アラカン3人の話はつきないのでした♪
南アルプスの紅葉を堪能し、諏訪大社に参拝したり露天風呂の温泉を楽しんだりの3日間。
なかでも大切な思い出となったのは、八ヶ岳の麓にある《高森草庵》を訪ねたことでした。
⇒高森草庵について詳しく知りたい方はコチラ
《高森草庵》は、押田成人神父(1922~2003)が創られた祈りと農耕の場。
広い敷地に藁葺きの小さな庵が点在しています。
自然農の田畑や湧き水が美しく、静謐な空気に満ちた《慰霊林》には、太平洋戦争で犠牲になったアジアの人びとを悼む木の慰霊碑が並んでいました。
学徒出陣の経験をおもちの神父の歌が刻まれています。
『限りなき涙の海に 消えず立たなむ』
自然の木を用いた慰霊碑には、ひとつひとつ瓦に書かれた祈りの言葉が添えられていました。
自然の木のオブジェなので、初代は自然に朽ちていって、今立っているのは二代目なのだそうです。
朽ちた初代の慰霊碑が、そのへんにそのままの姿で転がっていたりするところが《高森草庵》で、感動してしまいました。
宗教・宗派を超えて世界中から訪れる人が後を絶たない草庵は、今は、75歳になられるシスターが一人で守っておられます。
なんてチャーミングで清清しくて、美しい方!
日課である夕べの祈りにも参加させていただきました。
闇に包まれた御聖堂での1時間の沈黙と祈りは、1本のロウソクの灯りだけ。
座禅のような黙想のような、静かなひととき。
数十分の沈黙のあと、やさしく温もりのある、ささやくような声でシスターが詩篇を朗読されました。
神父は、ご自分のことを「キリストに会った仏教徒」と言われていたそうです。
シスターが作ってくれた夕食をいただいたあとは、食後のお茶を飲みながら、2人の友人が神父との思い出話を語り、シスターからも40年以上にもなる草庵の暮らしへの思いをうかがいました。
押田神父の著書『遠いまなざし』(地湧社)の帯には、こうあります。
家庭、学校、職場で心を痛め、疲れ、砕かれた人々に、『遠いまなざし』の世界がパン種のように広がるならば、美しい日本も必ずしも夢でないように思われる。
美しい日本は、世界にとって一つのかけがえのない存在となるでしょう。
外見的には、ぼろぼろのみすぼらしい高森草庵はその証言です。
(国際基督教大学教授 葛西実)
初版は1983年ですが、30年以上を経て「美しい日本」はさらに遠くなっているような気がしてなりません。
一方で、《高森草庵》はこうして世界中から人が訪ねてくる場所として存在し続けています。
地下水脈はつながって、枯れることは決してない。
遠い山を見るように、全体を見る「遠いまなざし」をもとう。
『遠いまなざし』のなかで、経済について、「本物」という視点で次のように書かれています。
経済というのは要するに本物を、本当の必要に対してできるだけ少ないつぐないで与えるというのが原点なんでしょうからね。
こういう基本的な人間の人の道がなくして経済というものはないんだという眺めがある人が中心にいなければ、こういう大きな経済という仕事なんかもできないと思いますね。
チャーミングなシスターと、案内してくれた2人の“はみだしナース”に感謝をこめて。