見えないものにしてきたのは

3月。年度末という名で訪れる別れの季節。

身近なところでも節目を迎えた人たちがいます。

会うは別れの始め、別れなくして出会いなし・・・。

ありがとう、さようなら。また逢いましょう。

ご縁に感謝しつつ、「未来に乾杯!」ですね。

震災直後の4月から始まった、作家:高橋源一郎氏のコラム「論壇時評」も今日で終わり。残念。

毎月楽しみにしていたのだけれど、始めあれば終わりあり、終わりは何かの始まり。

「論壇時評」の最終回では、『呼び覚まされる霊性の震災学』が紹介されていました。東北学院大学の学生による震災の記録プロジェクトです。

「タクシードライバーたちが頻繁に体験している幽霊現象」は、新聞などでも話題になりました。

『霊性』の話は、被災地を巡礼して歩く「命の行進」に参加した友人からも聞きました。祈りながら歩く海辺の町々で、何度も『霊』の話を聞いたというのです。それは恐怖ではなく、愛おしいものたちの話として語られていたとのことでした。

 

コラムから抜粋します。  朝日新聞「論壇時評」3月31日より

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ゼミの主宰者・金菱清はこう書いている…わたしたちの社会は「死」をタブー視し、見えないものにしてき  た。だが、暴力的に「死」と向き合わざるをえなかった、震災の当事者たちは、通常と異なったやり方で、「死者」を弔い、「死」を受け入れていった。そこには、わたしたちの社会が忘れかけていたものがあった。

彼らは、単に、「死者を忘れないこと」ではなく、やがて「死者と共に生きること」を目指すようになった。

死を常に意識することで、はかない生の価値を深く噛みしめるために。

そこには、よりよい社会を作り出すための重要なヒントがあるのだ、と。

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『源氏物語』の時代、常に「死」は身近にあり、「生」も「現世」もはかないものでした。

色即是空 空即是色

いったい いつ頃から「死」が見えないものにされてきたのだろう。

医療(病院)の次は介護(施設)が、サービスの名のもとで「死」を見えにくくしてはいないか。

老いて死ぬという自然のありようを、見えないものにしてはいないか。

広く美しいホールに放置され ぼんやりしているお年寄りに出会うたびに思うのです。

施設のお年寄りに 「長生きするんじゃなかった」なんてことを言わせたくないと思うのです。

そのために何をすればいいのか、まだまだ手さぐりの最中なのだけれど、

『はかない生の価値を深く噛みしめる』生き方をしたいと思うのです。