『親の「老い」を受け入れる』 ブックマン社
下町医師:長尾和宏さん&つどい場おばはん:丸尾多重子さんによる最新刊です。
「黄昏ゆく時を笑ってすごそう」というメッセージが、わかりやすい言葉でつづられていました。
こんな町医者が身近に普通にいてくれたら・・・と、ないものねだりをしていても仕方がない。
まるちゃんの言うように、私自身が賢い家族になろう、賢い家族になりたい人の手伝いをしよう。
←クリスマスローズに花芽がつきました
3年ほど前、「老い」を受け入れられず取り乱す親の姿に愕然とした私でした。
家事能力は乏しいながら、短歌や漢詩をたしなむ教養人というイメージの父でしたが、急な足腰の痛みで歩行困難になるという事態に相当取り乱しまして、心療内科にしばらく通いました。
診断名がついても、要するに「老い」が原因なのだからどうしようもない、という現実への抵抗。
右往左往しながらも、2年がかりで着地していきました。
役に立ったのは知識だけではありません。
ちょっと高みから俯瞰する目と、対話を続ける努力と、他人の力を借りられるオープンマインド。
今はいったん小康状態ですが、次の段階への下降は必ず近いうちにやってきます。
80歳を迎えてなお、「老化による不具合・不調」を否定したい両親の本音はどこにあるのでしょうか。
母がこぼした言葉は、「自分がこんなになるとは思わなかった。他人ごとだった。」でした。
(ええ~っ! 自分の母親の最期を看たのに~!)
老いることは惨めで酷いことだ、という価値観が、自分自身を苦しめているように思えました。
「終活だ」と言って物を捨てることは始めていますが、
自分の最期はどういうものになるのか、という不安の訴えも強いのです。
惨めで酷い姿とは思っていないです。
何の役にもたたない弱い人とは思っていないです。
どんな最期かはわかりませんが、見捨てたりしないです。
そんなことを、言葉だけではなく私の行動で届けいく必要があるようです。
長尾医師は言います。
「朝ごはんを食べたかどうかを忘れたばあちゃんよりも、
人は皆老いるということを忘れたあなたのほうが、
もしかしたらボケてはるのと違いますか?」
まるちゃんは言います。
「本人が引きこもりたいならば、反対はしないこと。
ひとりの時間を楽しんでもらいましょう。」
そして、小さな楽しみを共有できるような設定をしてみよう、と。
家族に向けられたメッセージの数々から、介護を仕事にする人が学ぶことも多い本だと思います。
おふく文庫入り。