少し時間がたってしまいましたが、12月20日の「折々のうた」(鷲田清一・朝日新聞)で、三好春樹氏の「老人介護」が紹介されていました。
『帰らすくらいならいかさにゃええじゃない』
老人ホームの訓練室で、三好さん(理学療法士)と歩行訓練をしていた女性の発した言葉です。
平行棒の間を行ったり来たりする歩行訓練。
どうにかこうにか訓練室に連れ出し、立ってもらって端まで歩いてもらう。そして「向きを変えて帰って来て」と言った療法士への見事な切り換えしです。
『乳児は握力をつけてから哺乳瓶を握るのではなく、
瓶を握ろうと試行錯誤するなかで握力をつけていく。』
『同様に、歩行能力も必要があって移動するなかで回復してくる。』 (「折々のことば」より)
生活リハビリの考え方です。
高齢者のリハビリテーションの目的は、生活行為の自立(機能のみでなく気持ちも含めた)です。
訓練室で指示されて動くことと、生活の中で目的を持って動くことには大きな違いがあります。
『生活行為はまず目的がある。
目的があって意欲が生まれ、その結果、体が自発的に動く。』 (「老人介護」新潮文庫より)
最近、自分で食べなくなった80代後半の方について、家族から話を聞きました。
歩行が困難になって施設に入ったものの、食事の行為は自立していました。
ところが・・・。
「むせるから」という理由で、キザミ食(細かく刻んでいるため見た目では何かわからない)となりました。
それでもまだ「むせるから」 ミキサー食(ミキサーでどろどろにしたもの)になりました。
すぐに自分からは口に運ばなくなり、全介助となりました。
口を開けることも少なくなり、「意欲低下=認知症進行」となって薬を増量されました。
その状況で、セラピストが「嚥下訓練」に入るようになったということでした。
「嚥下訓練」の様子を聞いてみると、要するに「飲みこむ筋肉増強訓練」のようでした。
セラピストが指示命令をして、本人が努力をするというスタイルのようでした。
この状況に、なんとはなく疑問を抱いた家族からのお話でした。
私と対話するうちに、なんとなく抱いた疑問は解けたようでした。
(自分の感じ方は間違ってはいないのだな、というふうにです)
けれど、専門家がやっていることに「口は出せない」という気持ちも話されました。
「みてもらっているのに」ということでした。
「食べたい」は、「生きたい」であります。
「生きたい」は、「今日の嬉しい」「明日の楽しみ」であります。
筋トレ以外の大事なことが忘れられていることに家族が気づいても、なすすべはないという現実。
まだまだ、もっともっと、やり続けなければ。
※「老人介護 じいさんばあさんの愛しかた」は、おふく文庫にあります