『気づき』を築く

介護職の方からよくある相談のひとつが、

「自分でできるのにやらない人に、どんな声かけをしたらよいでしょうか」。というものです。

「動く」とか「食べる」とかの場面のことのようです。

あの手この手を尽くしてもだめで困っている、

ということについては共感的に受けとめつつ・・・。「あの手この手」の実態を自分たちのアタマで掘り下げてもらえるように、質問を投げかけてみます。

そうして見えてくるのは、できるのにやらないことを依存や意欲低下という記号で見ていることです。

こういう習慣を、いったいどこから学んだのだろうと忸怩たる思いで話を聞いている私です。

「依存させてはならない、意欲的に活動してもらわなければならない、それが機能低下につながるから。」

単純な「なぜやらないの?」という視点が、スッポリ抜け落ちた「あの手この手」なのです。

そこのところに気づいてもらえるように、私も、「あの手この手」を尽くす日々です。


「できる」 と 「できない」 は誰がいつどうやって決めたのかな?

「できない」 と 「やらない」 は 何が違うのかな?

「やる」 と 「やらない」 は何が違うのかな?

「やらない」 を 「依存」「甘え」「意欲低下」 とする根拠はなにかな?


ほんとうに適切な「椅子」や「車椅子」なのかどうかも考えてほしいところですが、

「やらない」を意思表示と捉えて、真摯に共感的に受けとることが「初めの一歩」。

皆さん、わかってくださいます。

険しかった表情がゆるんでくるのがわかると、私もほっとするのです。

自分の発するコトバひとつで、お年寄りをコントロールしようとしていることに気づいてくれたらOK(^^)