「コントロール」とは、統制・管理・調節(広辞苑より)
「マネージメント」とは、管理・処理・経営(広辞苑より)
介護などの対人援助職に求められることとして、
「感情のコントロール」とか「怒りのマネージメント」とか言われることが多々あります。
このことが、「イライラしてはいけない」とか「いつも笑顔でいなければならない」とかいうように誤解されているのではないかと思うことも、多々あります。
なので、そうではないよということを研修の機会にお伝えするようにしています。
先日の研修では「心をコントロールする、と考えて苦しんでいたけど少し楽になった」という感想をいただき、
私も少しほっとしました。
「イライラ」を悪者にしてしまうと、それを感じた自分自身を否定することにつながります。
そんなことが積み重なっていくと、もともとあった仕事の「喜び」や「やりがい」も色あせてしまいます。
介護という仕事は、優しく思いやりがあり献身的な人が適しているというイメージに縛られないでほしいです。
「イライラ」などを感じる原因となっている「できごと」と、
そのできごとについて「私はどう捉えているか」「私はどう思っているか」をみてみます。
グループワークでやってみると、同じ「できごと」でも「捉えかた」が人それぞれ違うことがわかって楽しいです。
「捉えかた」の違いが、「感じ方」に影響していることがわかってくればOKです。
感じないようにしなければならないのではなく、自分の「捉えかた」に気づくことです。
あとは、それをどうしたいか・・・ということでしょう。
利用者が指示や誘導のとおり行動してくれなくて困る、という話をよく聞きます。
相手の反応などおかまいなしに、てきぱきと片づけていったら「イライラ」は減らせるでしょう。
もし「イライラ」したら、「てきぱき」を阻害する相手を「問題老人」にすることができます。
この場合は「イライラ」の原因は「問題老人」ということになり、
「問題老人をどうするか」「どうしたら言うとおりに動いてくれるか」について悩むことになりますね (^_^;)
ひとり一人と丁寧にかかわろうとすると、こ~んなめんどうくさいことはないです。
その人にとっての「ちょうどいい按配」とか、
「それならOKまあしかたない、動いてみましょうかね」というポイントを探っていくことの繰り返しなのです。
完璧な人間ではない私だから「イライラ」することはあるけれど、
この私の「イライラ」は私自身のなかにある私のものなのです。
それを否定するのではなく、丁寧に見てあげることができたなら、
それを一緒にしてくれる仲間がいたなら、
このめんどうくさい繰り返しが楽しい「介護のプロ」になれそうな気がします。