特別扱いはだめなの?

ある施設への出前講座で「認知症ケア」の研修を行った後、スタッフが実際に悩んでいるケースについて勉強会をする機会をいただきました。

スタッフの皆さんの中にある「どの利用者にも公平にしなければ」という真面目な思い込みによって、

ひとりひとりのお年寄りへの素晴らしい「気づき」が実際のケアに活かせていない現状がありました。


←フウセンカズラの花が咲き始めました(^.^)

たとえば。

Aさんの要望どおりにしようとすると、

Bさんの同じ要望に同時に応えることができない。

それを理解せず譲らず大声を出す行動は、

「ワガママ」ですか?認知症の「問題行動」ですか?

ははあ・・・そこへ行きますか(^.^)

「ワガママ」か「問題行動」かがモンダイなのではなく

板ばさみになっているスタッフがモンダイなのです。

スタッフの話を聞いていくと、AさんのこともBさんのこともよく観察しているし、あの手この手、汗と涙の奮闘ぶりが目に浮かびました。


AさんBさんは「葛藤型」なので、プライドを満たせる「特別な」何かを求めているのです。

これまで奮闘してきたことに自信をもって、

AさんBさんそれぞれのプライドをくすぐる「特別扱い」を迷わず徹底してやってみよう!

「ひとりだけ特別扱いしてはいけないと思い込んでいました」

「Aさんは、まだ満足度が足りてないってことですね」

というスタッフの発言は、素晴らしい気づきでした。

笑って話せるようになってよかったです。

        ※葛藤型:「介護の立場から見た認知症の分類」のひとつ。 「新しい認知症ケア」講談社より

                                     

いっけん大変そうに思えますが、

スタッフが連携して迷わず徹底してやることで、Aさんの「ワガママ」は「個性」として生きてきます。

そしてきっと、「ワガママ」も「大声」も、いつのまにか溶け込んでいくのです。

Aさんのなかに Bさんのなかに スタッフのなかに。


その人らしさを尊重しましょうという「個別ケア」は、

ひとりひとりの「その人らしさ」を実現することなので、

「特別扱い」はあたりまえなのです。


「介護」に、いつどこで 「公平=同じ」という思い込みが生まれたのでしょうか。

ひとりひとりのお年寄りが、その人らしさを存分に「特別扱い」されている。

それが「公平」ということではないでしょうか。