「待つ」ゆとり

南天の花が咲き始めました。

季節はめぐり、月日はどんどん流れて行きます。

家族が入院した某病院での“怒り”体験が、

起業を考えるようになった直接のきっかけでした。

3年前のことで、その後も定期的に通っています。

それが、最近、好感度上昇中なのです。

大がかりな改築工事で広く明るくなるとともに、

職員さんたちの表情が良くなった気がするのです。

新しくなって広く明るくなるのは、当たり前。

私が注目したことの一つは、

古いまま使われている場所も変わったことでした。

壁や掲示板、至る所にごちゃごちゃと貼られていた「患者様へのお知らせ」「注意喚起」が消えました。

廊下の幅の狭さや古傷は変わらなくても、

行き来する人の気分に生まれるゆとり(解放感?)。

きっと、そこで働く人の気分も違うはずなのです。

 おそらく、「業務改善」のような取り組みが行われたのだと思います。


人の配置や動線も変わったのでしょうが、環境を整え業務改善することで、時間の質が変わりました。

病院での患者は、「待つ」者です。

職員さんたちから受ける印象は、せかせかした感じ(“雑”ともいう)から、『ゆとり』に変わりました。

話し方にも表情にも『ゆとり』があるような印象で、

こちらの気持ちにも自然と『ゆとり』が生まれている気がしました。


「待ち時間短縮」を課題にされてしまうと、こちらも「早く早く」と急かされている気分になります。

自分の番が来るまでは、ひたすら待って。

いざ順番が来たら、てきぱきと指示されたとおりに動くのみ。

無駄はなくしてほしいけれど、こんなのでは居心地は良くないですよね。


介護の現場なら・・・?


「待つ」のは、お年寄りではなくて、私たちのほう。