「介護施設におけるターミナルケア」雲母書房の
著者・鳥海房枝さんの研修を受講しました。
死亡場所の推移を見ると1951年(昭和26年)には自宅8割・病院1割だったのですが、国民皆保険の導入後に病院死が増え続け、現在は病院8割・自宅1割と逆転しています。
今、生活の中から『死』が見えにくくなったことが、
介護の現場にも様々な課題をもたらしています。
新芽の季節というのに、おふく南天に1個だけ実が残っていました。
茶色くなっている部分もありますが、
深い赤色がきれいです。
『老いて死ぬ』という自然な営みを医療(治療優先)から介護(生活優先)にとりもどすには、
暮らしの場から『管理』をなくせばよいのです。
『管理』をなくせば、施設介護の葛藤の多くは解決してしまいそうです。
「明日のために今日を我慢させない。
明日よりも今日が一番大切な日。」
最期の場所をどこにするか、何を望むか、ということについて本人の意向確認が難しい場合、
本人に代わって家族が判断することになります。
その場合、「代理決定」ではなく「代弁決定」できるように支援していくことが大事だとも言われました。
「代理決定」をすると兄弟姉妹や親族間に葛藤が生じる可能性がある、と。
「代弁決定」は、本人の生き方や気持ちを思いながら話し合い、判断することができる、と。
「代弁決定」をしていくプロセスが、看取り後の家族の生きる力につながっていく、と。
家族ケアの極意ですね。
経験豊かな講師からは、現場のエピソードが楽しく語られました。
「自分の老いと向き合えず、いつまでたっても愚痴ばっかりの年寄りは介護職に嫌われる」
これは私の実家の母親のことだと思いました。
←実家から移植したスズランが、
今年も芽を出しました。
小さなつぶつぶは花芽なのでしょうか?
実家の母は、まさに介護職に嫌われるタイプです。
先日も、くどくど、ぐちぐち、足のしびれが完全に消えないと繰り返し言うので堪忍袋の緒が切れて、
「いっそ呆けたほうが楽になるんじゃない?」
と暴言を吐いてしまった私です。
もちろん、母は激怒しました。
「今でも忘れっぽいのに、何を言うん!!」・・・はい、すみませんでした(^_^;)
「ぜったいに他人の世話にはなりたくない」と断言している人で、
いまもってピンピンコロリ幻想を捨てられない人です。
これからどうなっていくのか、成り行きを見守るしかありません (^_^;)