ある介護施設(入所施設)に勤務する
看護職から話を聞く機会がありました。
私にも覚えのある内容で、
施設の看護職に共通の悩みなのかもしれません。
施設における「役割」のわかりにくさと、
「役割」ゆえに生じる人間関係のややこしさと。
← 雪柳が咲きました(自宅)
花言葉は「愛らしさ」「気まま」など
私自身が経験したことでいうと、
「生活の場だから介護に手も口も出すな」としつつ、
利用者に何か(病院へ行くような)が起きた時には、
「看護は何をやっていたのだ」と責められるという、
どこにも身の置き所のない状況でした。
何かあったときの責任は問われるけれど、
何かが起きないための介入はできないという・・・。
食事や入浴や排せつの介助に入るのは、
「予防的な看護」を担うためではなく、
介護の人員不足を補うためでした。
当時を振り返ってみると、
「専門職」としては看護職のほうが上だけれど、
業務上は「介護職」のほうが上位なのだという歪んだ認識が組織内に存在していた気がします。
ほんとうの意味で施設を「生活の場」にするためには、
利用者の生活習慣を入所後も継続させていく支援が求められます。
つまり、どれだけ個別のケアが徹底できるかということにかかっています。
しかし・・・集団生活なので個別対応はほぼ難しいのが現実でしょう。
個別ケアを行うためには、集団生活ゆえの制限(ルールとか常識とか危険回避)をどれくらい外せるかがカギ。
これこそ、看護職の予測と判断が物を言うところだと思います。
日頃から利用者の「食べること」「排泄すること」「清潔にすること」「動くこと」にかかわっていれば、
制限を外すところで専門性を発揮できるのではないかと思います。
外すことへの予測と判断で、介護の専門性を支えることができるのではないかと思います。
食べさせてあげたい、動かしてあげたい、喜んでもらいたい、笑ってもらいたい。
「生活の場」での多職種連携とか協働(共働)とか、なかなか一筋縄ではいかないのでしょうか。
何のために「役割」を明確にするのか、 「業務分担」をするのか。
けっして効率よく日課を消化するためではないし、事が起きた時の責任転嫁のためでもないでしょう。
働いている人が互いを尊重しあえなくて、利用者を尊重することなどできないのではないでしょうか。
当時の自分を振り返り、反省と後悔でいっぱいになりましたが、
施設看護職の役割について改めて考えさせてくれた出会いでした。
介護と看護が協働しつつ専門性を発揮できるチームを作りましょう!