便利なのは本人?介助者?

3月6日のNHKバリバラは、

「夢をかなえる福祉機器」でした。

「生活を便利に」だけではなく、

障害者の「やってみたい」をかなえる

先端技術の紹介でした。

音(聴覚)を使って自分や敵の位置を把握する

ゲームは、視覚に障害のある人自身が開発!

友達と対戦できるのって、楽しいんだろうな。


← 水仙が開きました。

すごい技術にオドロキの連続でしたが、

玉木幸則さん(脳性まひ)の

「できることができるようになったり、便利になったりするのはいいが、

  あくまで 『障害があってもそのままでいい』 ということが前提」 とのコメントで引き締まりました。


 (実は録画していたものを昨夜見ました。)


そんなおりに、

今日の朝日apitalで「排便までの時間を知らせる新端末」という気になる記事を見つけてしまいました。

おなかにとりつけた端末で直腸の動きを把握し、

排便の10分から30分前にスマートフォン画面に表示するらしいです。

12月から発売なのだとか。

なんだかすごいことになっているんだなあ。

たしかに、自分でコントロールできる(したい)人にとっては重宝かもしれない。

あるいは、なんらかの障害がある人が仕事をするときなどに上手く使えたら便利かもしれない。


ちょこっとひっかかったのは「介護に一役」という見出しでした。

介護福祉施設での聞き取り調査によると、

「排便時間の目安がわかれば介助の準備ができやすいことがわかった」というものです。


なんかひっかかってしまうのは私だけかなあ。

介護の世界には、

介助者が便利だという視点で道具を使ってきたことへの反省があるはずです。

(車椅子や機械入浴などが代表的)


あくまで記事を読んだ限りですが、

高齢者の介護施設で安易に取り入れられたりしないことを願います。