「挨拶」の希望

「挨拶」も 禅語のひとつ。

文字本来の意味は、

「そばに身をすりよせて押し合うこと」。

禅においては、問答によって相手の仏法修行の深浅をはかることをいうのだそうです。

 (「ふっと心がかるくなる禅の言葉」ナガオカ文庫より)

若者から清々しい挨拶を受けることが続き、

あらためて「挨拶」の意味をみてみました。

「ときめき支援室」の仕事で、松山市内の福祉施設へ出向いて研修をしています。

松山市社会福祉協議会からいただいたテーマで行う「出前講座」です。


社協の職員さんたちと一緒に施設を訪問しているのですが、

若い職員さんたちから気持ちの良い挨拶で迎えてもらうと、とても清々しい心もちになります。


  『まず自分から、気持ちの良い笑顔と丁寧な挨拶で、

    「自分は玄関を開ける用意ができていますよ」

          という思いを相手に伝えてみましょう。』


「玄関を開ける用意」とは・・・ 「心の玄関を開ける用意」ということでしょう。


たぶん きっと、 

とても苦労して受講する時間を作ったのだろうし、

とても忙しくて疲れてて気になる仕事もあるだろうし、

自ら望んだ研修ではないだろうし・・・。

そんなこんなを想像している私のほうは、

貴重な時間を使わせてもらうという重圧でいっぱいです。


そんな時に 「心の玄関を開ける用意ができていますよ」というメッセージを受け取ることの有り難さ。

よかった よかった ありがとう。


  『挨拶をいいかげんにすることは、

    人間関係をおろそかにすること。

    もっと言えば、

    生き方をいいかげんにしてしまうことにもなります。』


いいかげんな挨拶ですませてしまうこともあるなあ と反省反省。


訪問する施設によっては、気持ちのいい挨拶を交わせられない場合もあります。

それは心の玄関を開ける用意がないというメッセージなのでしょうか。

そんな場合は、ワークショップの手応えも今ひとつということが多いように思います。

 (私の力量不足なのですが。)


アリの一歩 歩歩是道場 です。


若者の清々しい挨拶に希望をもらって。