この最近、
ホームヘルプの付き添いで病院通いが続きました。
いつも一番気になるのはスタッフの『手』の使い方です。
おいおい・・・と物申したくなることがしばしばあります。
← この「ライフサイクル、その完結」増補版は、
アイデンティティ概念などで知られる心理学者エリクソンが
80歳で刊行した本に、妻ジョウンが「老年期とコミュニティ」
などの章を追加して出されたものです。
『手』についての素晴らしい文があるので紹介します。
第6章「老年期とコミュニティ」から抜き書きします。
『老人と関係を結ぶために有効な特別なアプローチとはなんだろう?
心と心、感覚と感覚、精神と精神の出会いのために、
優しさと洗練された鋭敏さを、力の限り振り絞って、
どのように表現することができるのだろう。』
『意識的に注意深く手を用いることが、
孤独感や見捨てられ感を持つ患者への世話や彼らとの快い関係の中で、
我々の人生をより意味深いものにする。
手は、人が生きていく中で、
生き生きとした関わり合いを持つために不可欠なものである。』
『たとえ健康維持のための接触であっても、
尊敬に満ちた人間味溢れる配慮を持って行えば、
患者の心の中に、からだを拭かれる物、運搬される物として扱われるのではなく、
人間として扱われているという感じを残すのである。』
健康維持のための接触(タッチ)とは、
『からだを拭く、抱き起す、食べ物を与える等の、からだの衛生と健康維持のための接触』であり、
背中をさする、手を握るなどの、コミュニケーションのための接触とは区別されています。
この健康維持のための接触は、介護看護の大きな要素です。
ある病院での 車椅子からベッドへ移る場面。
体格の良い男性利用者が痛みで立ちにくいため、病院スタッフ(男性)と私が2人掛かりで介助しました。
なんとか自分で動こうとしておられたので、私は横にいて、手を出すタイミングを計っていました。
ところが病院スタッフは、利用者のズボンのベルトを片手でつかんでぶらさげてしまいました。
まさに!! 後ろからベルトをつかんでぶらさげました(>_<)
そして 片手で荷物を動かすように・・・。
さっさとしてくれ・・・ って感じなのでしょうか。
あんまり見事に『物』移動されたので、呆然としてしまいました。
彼の手は人の手ではなく、運搬のための道具(=物)なのでした。
『運搬される物』として適応していくために、
お年寄りは「今ここ」から引きこもっていくんだよ。
尊敬に満ちた『手』で触れよう。
心と心 感覚と感覚 精神と精神
その出会いのために、
優しさと洗練された鋭敏さを持つ『手』をもとう。
← おふく花壇のガーデンシクラメン
華やかに赤く咲いてくれました。