玉手箱のなかの人生

「ペコロスの母に会いに行く」の『母』光江さん。

映画化もされて話題になりましたが、

この夏91歳で亡くなられました。

2冊目の「ペコロスの母の玉手箱」を製作途中のことだったそうです。

 本の中の著者の言葉。

 『母の玉手箱を開け、母の人生に思いを馳せる事により、父に出会うことができます。

父の向こうにペコロスのハゲ頭も見えます。』

少し前のものですが(朝日新聞11月5日付)、

著者の岡野雄一さんのインタビュー記事が掲載されています。

「記憶」について触れた部分を抜粋します。

 

『僕はね、記憶はなくなるんじゃなくて、ばらばらになるんだと思うんです。最近のことは忘れても、昔のことはディテールまでよく覚えている。

死んだ人も、死んだことを忘れて生き返る。

それを、「おかしくなった」と言うんだけれども、

見方を変えれば面白いんですよね。』

『酒乱の父に「一緒に死んでくれ」と包丁で追いかけまわされていた母が、「今お父さんが来とんなったと」と

うれしそうに言う。ボケた母のところへやって来る父は、酒を飲んでいない優しい父なんです。

認知症の人は、自分が輝いていた時に戻っていくらしい。それってすごくいいじゃんと思うんですよね。』

 

いろんな年の重ね方があり いろんなぼけ方があり いろんな介護のかたちがある。

私の親には どんな最期の時が来るのだろうか。

 

少しずつ衰えていく自然な体の変化を嘆いて右往左往し、

父の若いころの『罪』を言いあげてはぶつける母の姿にうんざりしつつ・・・。

そんな母に冷たい言葉を投げたくなる自分を 何とか抑えつつ・・・。

私の母にも玉手箱があるのだろうか。

母の玉手箱には 輝いていた時の記憶が入っているだろうか。

そんなことを考えるこのごろです。


かけがえのない時間を豊かに過ごすことを軸にして ぶれないでいよう。