9月15日敬老の日。
朝日新聞「ニュースの扉」は、
詩人・伊藤比呂美さんと考える「食われない介護」。
1昨年に父親を見送った伊藤さんとともに
介護現場を訪ねる内容でした。
伊藤さんは介護生活をつづった「父の生きる」を出版されています。
介護をふりかえっての伊藤さんの言葉。
「できるだけのことはやったけど、どこかに『もう少しできた』と後悔を持つことで、謙虚でいられた。
自分が食われないですんだんじゃないかな。」
「食われない介護」とは、
自分自身の時間や空間も持ち続けることを貫いて その分を他者に委ねられるということなのでしょう。
写真の左上が アメリカと熊本を行き来する超遠距離介護を支えた介護福祉士の嶋村さん。
本にも登場する嶋村さんについて、
「自己中きわまったような私たち親子の、あるがままの生き方にもつきあってくれた。
やっぱりプロなのよ。」 と伊藤さん。
型にはめることしか考えられない人は 型に関する知識があるだけの常識人は 介護のプロではない。
取材後に伊藤さんが寄稿した「父が父でいられること」には、
「手間はかかっても、父の意見を聞いて父に決めてもらうようにする。
これができるようになるのに、数年かかりました。」とあります。
そのことについて嶋村さんは、
「それは『自己決定』、ヘルパー養成の講習で教わる基本ですよ」とサラリと言ったとか。
「父が父でいられること」 は コチラで ↓ ↓ ↓
私が今かかわっている介護の講座でも、
この 利用者本人の『自己決定』に関する学習内容が組まれています。
しかし すでに現場経験のある人ほど 理解は難しいのです。
介護者側がやりたい(やらないといけない)行為について、
「指示≒お願い」 もしくは 「させてもらう許可を得る」 という態度が身についてしまっているから。
そうすればOKだ と教わってきているから。
~してください ~しませんか? ~してもいいですか? ~させてもらっていいですか? etc.
『自己決定』してもらうようなかかわりをしたことがないので、
丁寧な言葉づかいをする⇒尊重している という誤解があるように思います。
「時間がない」「忙しい」「不公平になる」 こんな理由で手間ひまかけようとしない人は 介護のプロではない。
プロならば 手間ひまかけられる時間をつくり出す工夫をしよう。
なにが不公平なのか なにが公平なのか 考えよう。
私の目の前にいる人の『自己決定』とはとういうことか 考えよう。
⇒ 「父の生きる」についてのブログはコチラ