NHKのETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開」(8月9日放送)は、
日本で最初に開校した肢体不自由児学校の戦中戦後を描いた番組でした。
戦争末期 大都市の児童60万人を農村地帯などに移住させた学童疎開。
「帝都の学童疎開は、将来の国防力の培養でありまして、学童の戦闘配置を示すものであります」
(当時の東京都長官の言葉)
将来の国防力の培養なので 戦闘能力のない肢体不自由児は学童疎開の対象外でした。
校長先生の手記や 学校に残された文書や撮影フィルム 卒業生たちの証言。
子どもたちを守り 共に生きぬいた 校長先生や先生たちに感動です。
差別と偏見 戦時下の「非国民」扱いの中で、
子どもたちを受け入れ 援助する長野県上山田村の人たち。
校長先生の言葉。
「戦争という巨大な波は 人間の理性を 善意を 情感を
さらにあらゆる文化を圧し流してしまう。
光明学校が育ち盛りを過ごした太平洋戦争とは、一体何であったか。
命を奪い 家を焼き 田畑を荒らして
残したものは 悲しみと 無念の涙だけではないのか。」
「お互い殺しあう『戦争』という名前で大きな努力をしてきたが、
いま お互い生かしあうための努力が ほとんどなされていないのではないか。」
戦後69年の8月 校長先生はどう見ておられるだろうか。
お互い生かしあうための努力を惜しんではならない。