拈華微笑(ねんげみしょう)
一輪の花を拈(つま)み、微笑むこと。
真意は心から心に伝わるもの。
久しぶりの禅語です。
拈華微笑
微笑みだけでも心は通う
( 「ふっと心がかるくなる禅の言葉」 監修:永井政之 ナガオカ文庫168頁より)
お釈迦様の説法を聴こうと集まった人々を前に、
お釈迦様は何も言わずに 手にした金波羅華(こんぱらげ)という花を差し出しました。
皆 何も意味がわからずに黙っていると、
摩訶迦葉(まかかしょう)という弟子だけが にっこり微笑みました。
その微笑みを見たお釈迦様は、
摩訶迦葉には真意が伝わった と言いました。
こんなお話から、
大切なことは言葉では伝わらない 以心伝心 などの意味で使われるそうです。
・・・花は花 ただそこにある花 無心に咲く花 あるがまま・・・
仏法の真髄 な~んてすごい話ではなくて、
ふだんの人と人との交流において 『ほほえみ』 が表現するものってなんでしょうか。
言葉では伝わらない大切なこと ってなんでしょうか。
まごころ 誠意 思いやり やさしさ ぬくもり ・・・
先日 そんなことを 改めて思うできごとがありました。
ホームヘルプの仕事で 某病院に入院している方を訪ねた時のこと。
受付の女性も 応対してくれた担当の専門職の方も、
自然な『ほほえみ』が感じ良くて 親切でした。
無事に面会の許可が出て病棟に上がった所で・・・看護師の登場です。
私を案内してくれていた専門職の方に対しても 来客である私に対しても、
「なんなの?」ってな感じの 無言の威圧感を漂わせた看護師でした。
言葉づかいも ぞんざいでした (+_+)
『ほほえみ』 のかけらもありませんでした (T_T)
看護師だったからなお とてもとても残念でした (-_-)
せめて業務用の笑顔くらい見せたらどうなのよ(-_-;)
この看護師 患者さんにだけは優しい・・・なんてことはありえないでしょう?
『笑顔』 なら 業務用に努力して作ることができます。
努力するうちに身につけることもできるでしょう。
でも 私が 『笑顔』 ではなくて 『ほほえみ』 にこだわるのは、
『ほほえみ』 は こころから自然に生じるものだと思っているからです。
文字や言葉にまさる 『ほほえみ』 が まごころを伝えてくれます。