こころして触れる(3)

昨日に続いて・・・

私が起業を考えるきっかけとなった とある病院でのエピソードから。

 

入院している患者本人ではなく 付き添っている私の希望で4人部屋から個室に移りました。

電動車いすで生活している肢体不自由者(20代男性)である本人は、

これまでの経験上、TPOにあわせて『弱者』として存在する心得があるようです。

いろいろな場面で、私よりもオトナの反応をしています。

 

そんな彼が 成人してからは初めての入院生活で 『弱者』として過ごしました。

黙って受け入れ適応しました。

 

たとえば「入浴」なら こんな感じです。

 

「一人で入浴できる人は週2回だけど、介助が必要なら週1回です。

 あとの1回は清拭(タオルで体を拭く)です。」

   ・・・ いっときだから、がまんしよう。

  ↓

 

病院で初めての入浴は、

ベテランらしい女性ヘルパー二人による ものすごく手際の良いもの。

   ・・・ ヘルパーさんも重労働で大変だよね。

  ↓

 

清拭に来たのは同い年の女性ヘルパー。

    ・・・ 病院に男性ヘルパーはいないから しかたないよね。

  ↓

 

次の週の入浴は、

女性ヘルパー二人+看護学生二人 計4人の女性によるもの。

    ・・・実習は必要だからしかたない。今さらどうでもいいし。

 

 

健康な人には『あたりまえのこと』が、

病気や障がいを持つと『我慢すること』になってしまう。

 

処遇改善の要求をしているのではありません。

そのことに鈍感にならないでほしいのです。

 

自分ではできないことを介助してもらう権利。

その権利を行使するために 彼は我慢を重ねているわけですが。

 

他人のからだや“痛み”に触れているということについて、

もう少し あたりまえの感覚が保たれていたなら。

同じ行為にも何かがプラスされて 相手に伝わるはずです。

 

看護学生の手際の悪さに耐えながら ヘルパーが学生を叱責するのを聞いている、

それが辛かった と彼は言いました。

ヘルパーが怖いからではありません。

学生が気の毒だからではありません。

そんなふうに介助してもらう自分が惨めだからです。

 

自分がしていることについて どうぞ鈍感にならないでください。