こころして触れる

「看護のための精神医学」でガツンとやられた

「理解はついに信に及ばない」という中井久夫氏の一文を

西川勝著「ためらいの看護」という本の冒頭部分で読んだ感激。

この本とどうやって出会ったのか、

はっきりしたことは もう忘れてしまったのですが、

折に触れて くりかえし手にとる大事な一冊です。

表紙のやかんとアルミ鍋は、「夜空のラーメン」というエピソードからだと思います。

私が紹介すると価値がぐんと下がる気がするので、内容はあえて書きません。

 (西川勝「ためらいの看護 臨床日誌から」岩波書店)

 

このエピソードを読んだとき、30数年前の学生時代の場面がよみがえりました。

 

「足浴」という基礎実習で患者さんの足を洗わせてもらうのですが、かがみこんで足を洗う私の頭の上のほうから、「他人の汚い足洗って何が楽しい?」という患者さんの声が。

 

悪性の病気で長期入院している10代後半の男性患者さんの心理について、

いろいろ分析することはできるのかもしれませんが、

その時の私は、かたまって「作業」を続けるしかありませんでした。

 

あの時の冷めた(・・・と私が受け取った)声を思い出すことができて良かった。

顔は思い出せないけれど。

 

他人の体に触れること 他人の痛みに触れること

作業にならないように こころして。

自分の言動が及ぼす波紋について無頓着にならないように。